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錦川はきれいですが・・・

初!
ブログを書き始めて初めてトラックバックしてもらった。
美川を故郷に持つ方だそうで。

錦川はきれいな川。
清流と呼ばれるだけのことはあると思う。

それでも、錦川本流にダムができる前はもっともっときれいだったそうだ。
もっと水量があったとも。
今の錦川でさえ、汚れてしまっているのだろう。

通常錦川のダウンリバーといえば根笠や南桑から。
上流部のダウンリバーといえば、河山や出合から。
そのさらに上流にある木谷峡
このあたりでダウンリバーをするのは山口ODSNくらいしかないのではないかと思うが、この木谷峡、近々「平瀬ダム」の底に沈むのだ。

もうみんなわかっている。
まずはダムありき。
ダムがあって、なぜダムを作るのか、理由をこじつける。
別に「カネ」を使いたいだけなら配ったらいいのに、そこは税金、一応「ムダ」なカネは使えないことになっている。
だから、もっともらしい理由をこじつける。
その理由が正しいかどうかはまた別の話だ。

親水公園やビオトープ。
一見、人々のためになりそうな気がするかもしれないが、人間が自然に手を入れるということがどれだけ自然を壊して来たかを見れば、どれだけムダなことかはわかるはずだ。

人間が手を入れた親水公園を維持しつづけるために維持費をかけ、予算がなくなれば放置し、汚れていく。
川に限らず自然は、人の手が入れば汚れ、死に、崩れていく。

護岸することで流れが変わり人が流されやすくなる。
堰堤にできるバックウォッシュに人が捕らえられる。
自然に人が手を入れて、自然にとってよかったことは何もない。

錦川に来るまで、川で泳いでるのを見たことがなかった。
錦川は現状でも多くの人が水に親しんでいるではないか。
親水公園ほどムダなものはない。
そんなものにカネを使うなら、河原での遊び方を子供達に教えるために使えばいいのだ。
親水公園にカネを使うくらいなら、河原へ降りるための駐車場をあちこちに作るとか、河原へ下りやすくするとか、そういうことに投資すればいいのだ。
親水のために、川に手を入れる必要はない。

日本人はコンクリートの上からしか水に親しめなくなってしまったのだろうか。
平瀬ダムができることで、あまり泳ぎたくなくなる川になっていくのではないだろうか。
ますます「親水」から遠ざかるのではないだろうか。
親水公園から遠ざかってしまい、廃れていくのではないか。

錦川本流はますますダムで汚れ、清流宇佐川がなんとか錦川を中和する。
宇佐川がなければ、錦川は清流とは呼べないのかもしれない。
錦川清流線が錦川線と改称する日が来るのかもしれない。
ダムがないと思っていた宇佐川にも、しっかりと巨大な砂防ダムがあった。
砂が溢れんばかりにたまってダムの役割を果たしていないので、「砂防ダムの遺跡」とでも呼ぶべきか。

この日本では、もうダム工事はとまらないだろう。
日本では、物言わぬ自然はカネを使う場所でしかないのだ。
錦川は、10年後も100年後も清流でいられるのだろうか。
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