「 日別:2005年09月10日 」一覧

南桑の今

橋の下

 カヤックを載せずに美川町へ来たのは何年ぶりだろう。深夜、結局南桑まで入った。惨状とはこのことだった。ライトに舞う土埃が照らされ、道端には土砂が積み上げられ、また家屋は崩れているところもある。暗闇の中、自衛隊がまだ作業をしていた。歩道や道端に溢れた、汚れた家財道具やゴミを、全て撤去していたのだ。作業は明け方にまで続いた模様。

わかば台に車を停め、夜を明かす。午前3時頃雨が降り始めた。その後、断続的に降った。朝、目覚めて、いつもの橋の下を見て驚く。土砂が今までより1m程度堆積していた。どれだけの土砂が流れてきたのか。これだけ堆積しているということは、水が引いたときには河原からの高さが結構あるのか、それとも川幅が狭くなっているのか。南桑のゆったりとした流れが、台風のせいで激しい瀬になっている、という可能性もなくはない。今、河原へ車で下りるのは例え四輪駆動の車でもやめておいた方がいい。

柵  ニュース映像で見た、歩道に堆く積まれたゴミは、朝、すっかりきれいになっていた。自衛隊パワー。深夜の作業、大変だっただろう。柵に草がたくさん挟まっている。今では数mも下の水面。一体どこからそんな水が流れてきたのか。想像を絶する。

 和田さんが到着するまでの間、宅急便と郵便が届いたので代わりに受け取った。こんな状況でもしっかり届くなんて、すばらしい。特に、バイクでの郵便配達は、土埃を巻き上げ、排気ガスを放出しながら走るトラックの後ろを走っていたりするのを見ると、とても大変な仕事だと思う。

 和田さんの家の床を剥ぐ。そこには、大量のヘドロが溜まっていた。床を剥いでは、泥を掻きだす。釘で打ち付けられた板をはがすときに、釘のついたままの板が足に落ち、釘で腿を刺してしまった。おそらく雑菌が大量に付着しているだろう釘に刺さったということで、念の為、臨時救護所へ行ってみた。3人に取り囲まれ、治療をしてもらった。ちょっと消毒してもらえればと思ったが、注射を2本打たれた。破傷風の予防のための筋肉注射は、痛いといわれたが、全くの無痛だった。薬ももらった。昼に早速飲んだ。

 その後作業を続行するも、途中で気分が悪くなった。貧血のような症状で、ちょっと休む。薬が回ったのか、ただの貧血か。しばらく休憩すると、まぁよくなった。1日目からこんなんじゃ先が思いやられる。自分自身が被災者だったら、これを毎日続けなければならないのだ。これがどれだけ大変なことか、ニュースで見るだけでは決してわからない。実際、わからなかった。

 今日お手伝いに来ていただいた方は、たくさんの道具を駆使していた。チェーンソーまで登場。こういう状態で何をすればいいのかを知っている。また、そのための道具を持っている。一朝一夕では用意できないし、何を用意すればいいのかがさっぱりわからない。そして、そんな風に助けに来てくれる人がいる、やはりそれは和田さんご夫婦の人柄だろう。自分が被災したら、一体どうなることか。

 川を見つめながらの帰り道、椋野の駅前の橋脚のエディに、中州ができ右岸側は瀬ができていた。きっと他にも流れが変わっているところがたくさんあるだろう。これからダウンリバーする人は要注意。落ち着いたら、一度調査のダウンリバーをしたいと思う。

日本一自販機 南桑に行く途中、深夜に見た悲惨な光景が目から離れなかったので、帰りに撮影した。椋野の日本一の自販機は、見るも無残な姿となっていた。

 会う人は皆口々にダムの放水とともに一気に洪水になったと言った。放水が遅いと言った。上流にダムがある川での洪水を、人災でないと理論付けて証明できるのか。治水のためという大義名分がついているのであれば、台風が来る前に本当に治水できるだけの容量を確保しなければならないのではないか。それとも単に、降雨量が「想定外」だったのか。平瀬ダムができたら、本当に、この被災は起こらないのか。

 今日お手伝いに来られた方は、最近よく川が怒ると言った。怒るようなこと何かしたかなと。ダム?