タブロイド思考

 タブロイド思考、という言葉があるらしい。

 ウィキペディアでたまたま別のことを調べていたのに、リンクにあったその言葉へ導かれた。今日初めて知った。内容を見ていくとアイタタタである。いるいる。こういう人。って、オレのことか~!


 「テレビで大学の先生が○○って言ってたからそうに決まってる」「並んでるラーメン屋はうまいはずだ」「今日は凪だから安全だ」なんてそれで終わらせてしまうと、その記事にもあるようにそれは「思考停止」の一種。有名人や第一人者や発祥の人や始祖や達人や先輩や世間やマスコミや役人や政治家や先生などなど、いろんな「それらしいことを言う人」がいる。本当に、その人の言っていることが正しいのか?一般的に言われてることが正しいのか?わかった気にならずに、一旦自分で考えてみる。理由は?根拠は?なんてヒトに尋ねるとただウザイだけのヒトと思われるキケンがあるので、「へぇ~、そうなんですかぁ~」と済ませておいて、人知れずこっそり試してみる。

 果たして本当か?理論的に正しいか?矛盾は?論理の飛躍は?と思考をめぐらせて、時には体を動かし、時にはカネを使って調べてみる。自分で試してみる。自分で失敗してみる。自分で確認する。自分で実証する。「逮捕されたから悪人」なんじゃなくて、果たしてそれは本当に悪か?法が間違ってないか?嫉まれて悪人にされてるんじゃないか?と考えることさえ必要なことだと思う。少なくとも、被疑者であるうちは犯罪者ではないはずだ。

 もちろん結果として「やっぱり言ってることは正しかった」ってことになってもいいと思う。そりゃ必ずしも間違ってないはずだ。そう。何でもかんでも批判するのとは違う。何でもかんでもうのみにするのとも違う。正しいものを正しいと判断するための基準を自分の中に持つための成長過程のひとつ。

 ところが、批判のココロや強い感情を持って「正しいのか?」っていうと、いざ正しいとわかった時にも認めたくなくなるから、あくまでも純粋なココロで疑ってかかるべき。

 そして、それは人の話に対してだけのことでもない。自分の考えに対しても同じ。間違った考えを持つべきではないし人に押し付けちゃいけない。こっそり自分の中で軌道修正していこう。考えを改めるのは死ぬまでできる。ってことにしておかないと、今までブログに書いてきたこととの矛盾を指摘されたときに困ってしまうではないか。

 ただ、結論に行き着く前の可能性を考えている段階で人に話してしまうと非常に(非情に)誤解を生みやすい。もちろんこれは体験済み。だって「世間一般に」悪いこととされていることを本当に悪いんか?とか「世間一般に」優れたものだと言われているものを本当にええんか?なんて言っちゃうわけだから。だからこんなことは一人でこっそり考えるだけにとどめておくのがいいらしい。

 さらに大切なことは、そんなことぜーんぶ忘れて何も考えずに水面でゆらゆらすること。やっぱこれよね。これがなくっちゃバランス取れないよ。

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