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カヤック履歴書(2)

 前回、くろさんこと和田さんに出会ったときのところまで書いた。って既に4年半も前だった。その続き。

 ちなみにこの写真は当時個人的に流行していたらしい「沈撮」の写真。


 くろさんところにまた遊びに行こうということで、度々山口アウトドアスポーツネットワークのツアーなどに参加するようになった。前回のとおり海のカヤックから入ったのだけど、くろさんところはリバーカヤックもやっていて、海や川へよく連れて行って頂いた。

 ちょうどその頃かちょっと前だったか、「カヌー公園さくぎ」がオープンした頃で、そちらへも毎週のように行った。月一くらいだったかもしれない。最初に「まっすぐ進めるようになりたいです」というリクエストをした記憶がある。何度も行って、イベントダウンリバーみたいなのも参加したりした。ざら瀬が近づいてくるとドキドキした、まだ初々しいときだった。

 当時は自分で自分のカヤックを所有するということがよく理解できなかったというか「借りて乗るもの」だったので、さくぎで1時間レンタルしたあと錦川の夏のカヌー教室(当時はカズパパやWキヨさんが講師だった)へとはしごしたりしていた。最もたくさんロール練習して最もたくさん沈脱していた時期だったと思う。カヤックはプリヨンスクールとプリヨンマスター2にたくさん乗った。

 まず一番最初に買ったカヤック道具というのが、ヘルメットだった。カヌー公園もくろさんとこも、借りるヘルメットが微妙に小さくて(微妙に、ね)、頭が痛かったのだった。

 そうこうしているうちに、自分のカヤックが欲しくなって、最初に買ったのが中古艇でダガーのid6.9。ダウンリバー&プレイボートみたいに書いてあって、当時は別に刺したり回ったりとかは特に興味がなかったのでこれでいいかと思った。ウェーブとかホールとか違う世界だったので、遊ぶといえばロールに挑戦するとか、Kayaking with EJに出てくるストロークをひとつひとつ練習するとか、そんなのがメインだった。それが面白かった。そのうちくろさんがバウを刺す方法を教えてくれちゃったもんだから、なんとか刺せるようになろうと思って興味がそっちに移ってたくさん練習した。当時は11月頃までラッシュガード一枚で練習していた気がする。パドリングジャケットとか持ってなかったからね。

 自分のカヤックを買ってから、そういえばカヌー公園さくぎには行ってない。自分のカヤックを持ち込んでそこで練習するということがアリだと知らなかったというか、カヌー公園はカヤックを借りて乗るところと誤認してしまったのかもしれない。後になってOKと知ったのだけど・・・。

 リバーカヤックの方はそんな感じで、シーカヤックはくろさんに周防大島・田布施の馬島・上関の方や、浜田・益田などあちこち連れて行って頂いた。今度はシーカヤックが欲しくなったのだけど、くろさんと海にいくと高いところからロープでずりずり下ろしたり、岩場でもガンガン入っていったりするのでポリ艇しか眼中になかった。2回目の沖縄に行って、またシーカヤックに乗ったときにちょうどカレントデザインのスコールという船に乗せて頂いた。今となっては僕にはデカすぎる船と感じるけれど、わりとシャープで速いような印象を受けたしポリ艇だったのでどこかで中古艇がないかなぁと探していたら、ちょうどCSCの中古艇情報に出て、出たすぐに申し込んで購入を決めた。

 どこかで書いたと思うけど、なんと岡山から広島まで配達してくれるとおっしゃる。いやいやそれは申し訳ないからと、スクールが終わって帰ってこられる日曜日の夕方に岡山へ受け取りに伺った。遠くから皆さんが帰ってきて、浜についても上陸せずに何か見たことのない動きをしていた。カヤックに乗ったまま背中を水につけてぷかぷか浮いている映像やパドルも何も持たずにひっくり返ったのが起きてくる映像を見て、なんじゃこりゃーと唖然とした。Pバランスとかいうスカリングもせずにぷかぷか浮いているワザや世の中にはできる人がいるらしいとは聞いていた伝説のハンドロールがそこで行われているのではないかっっ。

 とかなり衝撃を受けたのだけど、当時の僕の様子を見て師匠はとても興味があるようには見えなかったそうだ。感情が顔に出ないらしい。とりあえず、スコールというポリ艇を買おうと思わなければ、広島まで配達してもらうのが申し訳ないと思わなければ、この光景を目にすることはなかったわけで、ある種運命的な導きがあったのかもしれない。

 見た光景を頭の中でリピート再生しながらidに乗って川でいろいろ練習してみた。当時高校生くらいだったカズがスカリングしながら水中を観察すれば、僕も負けじとマネしてみたりした。どこかで書いたけどバックデッキロールというのがあると知って、でもよくわからなくて浅いところで手をついてバックデッキ地球ロールぅーなんて遊んでいたらいつの間にかハンドロールができたりして。でも刺したりはちっともうまくいかなかった。

 そのバックデッキ地球ロールを練習していた(?)おかげで、浅いところで沈してセットできないような状態でもとりあえず川底に手がつけば起きることができるということを理解して、実際に役に立ったこともあった。遊びのつもりでもいろいろやっておくとたまには使えることがあると知った時だった。リバーカヤックはそこそこロールできたけど、シーカヤックでのロールはかなり怪しくて、おかしいおかしいと、シーカヤックでロールするなんてかなり大変なことだと、当時はそう思っていた。

 そんな感じだったので、海に出るのは怖かった。一人じゃ怖いのでくろさんに連れて行ってもらう場合が多かったけれど、たまに一人で出るときには沈脱して再乗艇できなかったら泳がないといけないからというわけで、少々暑くてもウェットスーツを着ていたし度付のゴーグルをしていたし、フィン(足ひれ)をデッキに搭載していた。フィンがあれば岸まですぐ泳げるだろうと思って・・・。そのうえで常に岸ベタで漕いでいた。岸から100mも離れると怖かった。釣り人がいたりすると沖に出ないと行けなかったからかなりドキドキした。そんな滑稽な青春時代(?)を過ごした。

 当時は沖縄で買ってきたクバ傘をかぶって漕いでいたけれど、海人用の小さい奴でも風に煽られると結構大変だった。ある時うっかり沈したときにはバサッと顔にかかって、ロールしようと思ってもどっちがどっちかわからず水中で払うこともできず沈脱してしまったというトラウマがあってそれ以来使っていない。涼しくてよかったんだけど。カヤックで使う道具じゃないと思った。

 もうちょっとうまくなってからCSCに行ってみよう、と思ってたくさん練習していた。あのエキスパート集団に入れてもらうにはもうちょっとできるようにならなければ!と誤認していたのだった。今となっては別にスクールなんだしできない頃に行っても何も問題なかったというか早く行って教えてもらえばよかったと思うけど、それはそれで自分なりに練習していた。

 ある日、師匠からその後どうですか的なメールを頂いたんだったかな。返信で今これこれこういう練習をしてます、シーカヤックのロールは難しい、とか何とか返信したような。で、ともかく岡山へ行ってみた。どなたかにお借りしたエピックの平パドルを使うと、スコールでのロールがぷるっと上がった。それまではおまけにつけて頂いたニンバスのパドルだったんだけど、あまりの違いにビックリ。もう怖くてそれが使えなくなった。帰ってすぐ注文した。それがオリンピックの年だったから2004年かな。パドルのビルダーさんがオリンピックについていくから、買うなら在庫から選ぶかオリンピック終了後以降とかって聞いた気がする。

 いつだったかのツアーの時に借りて乗ったユーヤック。それでハンドロールをしてみたらスコパコパパーンと上がった。シーカヤックだからロールが難しいんじゃなくて、船によってロールがしにくい・しやすいというのがあるんだってことを知った夏だった。秋だったかもしれない。

 オチがないけどおわり。

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