ふつうの週末
諸事情により、今月中に一度実家に帰らなければならなかった。しかし、いつ土曜日が拘束されるかわからない先行き不透明な企業に勤める関係上、帰れるときに帰らなければならない。従って予定など立てられず、突然の行動となる。
突然の行動には予め予定を立てるということは不可能であり、不可能であるからこそ突然の行動となる。つまり何が言いたいかというと、せっかく九州に帰るのに九州にいるはずの人はキャンプに出かけるらしいということだ。
どうやらT田湖らしいという未確認情報。それがどこかもわからず、地図で調べてみるとどうやら帰りがけに行けそうだった。というわけで寄ってみた。
大雨の中、管理されたキャンプ場。管理人がいるところには何故か緊張してしまう私。雨のため行き場もなく、しかし目指す車が見当たらない。
メールをしてみるともうすぐ到着とのこと。実際にその5分後には到着していた。どうやら、その未確認情報にはどうやら続きがあったようで、到着は夕方ということだったのにそれを見逃していた。惜しい。キャンプサイトができていたら写真を撮ってこっそりレポートをしようと思っていたのに。残念。
雨だし、管理されたキャンプ場だし、一応部外者だし、その場は退散することにした。公魚(←だいぶ定着してきた)をちょっぴり楽しみにして・・・
さて翌日の日曜日。天気もよく、せっかくなので久しぶりの門司観光をしてみた。九州に帰ってきたのは1年近くぶり。まずは、以前とは大きく変わってしまった門司港レトロ地区。完成する前はニューレトロタウンとかって言ってて、なんちゃそれ、と言っていた気がする。高校生のときにデートした廃墟の前。その廃墟がきれいに作りかえられているのにはビックリした記憶がある。観光客も多い。以前は静か過ぎてキケンな香りの廃墟前だったのに。といってもあまりの車の多さに駐車場待ちをするのもイヤでそのまま車を走らせ、めかり方面へ行ってみる。
そういえば、めかり公園へはよく行ったものだが、パゴダには行ったことがないなと思い、行ってみた。「世界平和パゴダミャンマー僧院」というらしい。
第二次大戦の戦没者の慰霊と世界平和を願うとともに、ミャンマーとの国際親善ということで建てられたとか。拝観料100円。館内には、仏像とともにミャンマーのくらしが写真で紹介されている。手作り感タップリの展示。
続いてめかり公園。「めかり」は漢字で「和布刈」と書く。和布刈(めかり)神社のワカメ刈りの神事が由来のようだ。ここも昔はよく来たものだ。懐かしい。関門橋がよく見える。昔は珍走族対策で夜11時以降は入れないとかいう制限があったけど、最近はどうなんだろう。
続いては、部埼の燈台のところへ。田ノ浦から白野江の集落を抜けていくと、なんだか足湯の看板が。製塩所ができていて、足湯もやっているらしい。こんなのが出来ているとは知らなかった。
採石場を抜けて青浜の集落。以前に比べて護岸が高くなっており、なんとなく閉塞感がある。そのさらに先に行くと、清虚の像が見えてくる。
像があるところのちょい手前に、丘に登る階段がついている。階段を登った所が部埼(へさき)燈台。ここにはこんなお話があって。燈台のところの看板から、清虚に関わるところだけコピー。
部埼燈台と僧清虚の偉業九州の最北端に位置するこの地、部埼(門司区青浜)はその昔、狐埼、念沸埼と呼ばれた荒海の難所でした。天保七年(一八三八)大分県国見町の竹田津港から下関経由、高野山に修道に向かう途中、便船に乗りあわせた旅僧清虚(属名太兵衛 - 大分県東国東郡国見町出身)(一七七七?一八五〇)は、船客が数珠を手に念仏を唱えるのをみて何とかこの難所から多くの人命を救おうと燈明台を建て火を焚き続けることを決心。船頭に頼んで青浜に上陸し、山の中腹で十三年の長い間、雨の日も風の日も、読経とともに燈明の火を絶やさず炊き続けました。
清虚は、日中托鉢でえた糧を焚料にし、一日一食の生活を続けました。これを見た人々は一食坊主、乞食坊主とさげすみましたが、それもいつしか村人の心を動かしはじめ、舟人達も協力するようになりました。
こうして、七十四才の高齢で村人たちの見守る中で世を去った清虚の偉業も、没後、村人、利三郎によって受け継がれ(十一年間)、さらに庄屋に受け継がれて火は焚き続けられました。明治五年一月、今の洋式燈台が建設をみるまで、暗闇の海を照らす目の役割を果たしました。清虚は青浜の墓地に葬られ、頌徳碑も昭和十四年に墓前に建てられました。燈台下の僧の大きな立像は、昭和四七年に、故田中美佐人氏ら有志により海辺に建てられました。毎年秋には、この地で白野江清福寺住職を招き顕彰法要が営まれています。
今度は、シーカヤックでここまで来よう。
次は、新しくできた新北九州空港へ。さすがオープンしたてで大渋滞。飛行機に乗れない人が出てきてもおかしくない野次馬の群れ。仕方なく、ワンオブ野次馬は引き返した。大きさは広島空港くらい?便数は福岡空港に比べて少ないので、わざわざ飛行機を見に来るところでもなし。
そのまま高速で帰った。











