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高津川の河川争奪

 きょうは、たかつがわの水源公園で勉強した「かせんそうだつ」についてはっぴょうします。

 なんだか書きながら小学生の発表会レベルだなと思ったので・・・。ていうかそういうと小学生に失礼な気さえしますが・・・。ともかくいってみましょう~

 先日行ってみた水源公園、六日市インターからむいかいち温泉ゆららの方へ向かい(そういえば道の駅ができてました)、ゆららを素通りしてずーっといくと出てきます。

 樹齢1000年とも言われる一本杉の下にあるのが大蛇ヶ池。ここが現在の高津川の水源。大蛇ヶ池という名前は、先日登った船通山でスサノオノミコトに倒されたヤマタノオロチの陰霊が住み着いたということから来ているそうな。結構逃げてきたようだ。

 そんな話がこの剥げかけた案内板に記載されている。興味深いのが「河川争奪」という言葉。昔は宇佐川・深谷川が高津川の源流だったということだ。それが、「河川争奪」によって今や錦川の源流になっているという。

 帰ってからカシミールで地形を見てみるととても面白かったのでちょっと解説してみると・・・。

 昔々、宇佐川と深谷川は高津川へ流れ込んでいたそうじゃ。

 ところが、錦川へ流れる現在の宇佐川(って言ってたらややこしいので錦川ということにしておく)が徐々に山を崩しながら宇佐川へ手を伸ばしていき、とうとう宇佐川に出会うことに成功したのじゃ。

 これが、第一次高津川錦川河川争奪大戦の始まりじゃった。

 宇佐川は目先の錦川に心奪われて、高津川の方へ流れることはなくなってしもうた。深谷川と一緒に仲良く高津川に流れていたあの日々は、もう帰らぬものとなってしまったのじゃ。

 そうして、宇佐川と深谷川は離ればなれになってしもうたんじゃ。

 ところが、宇佐川がなくなったせいで、深谷川は高津川へと流れ込むには急カーブを曲がらなければならなくなってしもうた。

 それまでは大水のたびに宇佐川が深谷川の流れを高津川へ押していたからよかったのだが、高津川がいなくなった深谷川はとにかくまっすぐ進みたがるやつでのう。

 宇佐川に会いたい一心で、かどうかはしらんが、とうとう前にそびえる山を崩してしもうたんじゃ。これが第二次高津川錦川河川争奪大戦じゃ。

 まっすぐまっすぐひたむきな深谷川は、再び宇佐川と合流し、そして山を削り続けて今のような深いふかーい谷を流れるようになったそうじゃ。

 そして、高津川は錦川に宇佐川だけでなく深谷川まで奪われてしまい、今のような切頭川となってしもうたそうな。

 今の地形は、こうして宇佐川と深谷川の出会いと別れの物語が作った奇跡の地形だったのじゃ。おしまい。

 ・・・。「昔々」って書くとじゃ調になるのはなぜだろう。宇佐川と深谷川のどちらが先に錦川側に行ってしまったかなどは案内板にも書いてないので想像の範囲です。あしからず。

 グーグル先生で見てみると、深い谷感は少ないけれどぐりぐり動かせて面白いかも。

 この公園一帯は湿地帯になっている。過去に流れていた大河の名残だろうか。この公園の少し上流側には、河床だった名残の石がまだ残っているそうじゃ。

 その後深谷大橋の方に向かったら、それまで平原だったところにほんとに突然ドドーンと切れ落ちた深谷川の深い谷が現れた。たいてい山と山の間に谷ができてるもんだけど、田畑のある平地の真ん中に谷が出来ているのがとても不思議な雰囲気だった。今まで何度も通過したはずの深谷大橋だけど、今まで全く気づいていなかったのじゃ。見方を変えてみるととても面白いものであるじゃ。

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コメント

  1. fusai より:

    こういうのを面白いと思えるフィーリングが素晴らしいですね。深い!

  2. quickturn より:

    深谷川だけに、深いですねぇ~

  3. 渡辺 弘人 より:

    こんにちは。

    河川争奪・・・私も地理マニアなので、この言葉だけで戦慄を感じます。 笑;

    わかりやすい図式で、いいですね!

  4. quickturn より:

    戦慄ですか!分かる気がします!だって河川が争奪ですもんね!
    河川が譲り合いって聞いたことないし?

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