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7/18 忽那諸島シーカヤックツーリング二日目

 2泊3日の予定で出発した忽那諸島シーカヤックツーリングの二日目。数々の判断ミスを犯してしまい大変なことになった。初めてのところはたまにはそういうこともあるさ、の39.5km。

 朝霧の中、荷物を全部カヤックに詰め込んで、お世話になった大串の海岸を出航した。当初はここで2泊にして2日目は睦月島・野忽那島を回ってくるくらいにしておこうと思ったのだが、中島の北側のどこかでキャンプすれば帰りは違うルートを取れるしちょうどいいではないかと考えたのだ。今思えばこれが一つめの判断ミス。

 干潮時は陸続きになる久兵衛小島。大串キャンプ場の見所のひとつらしい。

 さて次に目指すのは睦月島。大気は若干湿っているようでわずかに霞んでいる。まだ梅雨明けじゃないんだろうかとか考える。

 まず最初に現れる海峡、中島と睦月島の間の瀬木戸海峡。既に結構な速さで流れている。さっさと渡りたかったので、フェリーグライドせず時間優先でバウをコンパス90度に合わせて横断した。どれだけ流されたかはトラックログで見ていただくとわかるとおり結構なもんである。

 たくさんの砂浜を眺めながら、南側にある睦月島の唯一の集落を通過した。もうちょっとゆっくり眺めてもよさそうなものだが知らない土地で一人だと気が焦ってしまう。

 そして睦月島の南東の突端へ到着。そこから芋子瀬戸を挟んで野忽那島を望む。結構遠くに見える。ちょっと怯むが横断をしかけた。

 ここも大量の釣り船が出ていた。やっぱり流され&ゴーを繰り返していた。流れがあるところは魚が活性化しているのだろうか。

 少し風があって波もちょびっと出ていたが、特に問題なく野忽那島に到着。四国本土がいっそう近くになってきた。

 野忽那島南東端の牛ヶ口鼻という口か鼻かはっきりしろよな岬を回りこむと、すぐ近くを石崎汽船のフェリーが通過した。遠く広島の宇品港から出発して、松山かんこっこ観光港へ行くフェリーだ。他にもスーパージェットがこのあたりを爆音を立てて高速で走り抜けるのも見た。四国本土へ渡るときは注意が必要となるだろう。

 野忽那島東側はきれいな砂浜がいくつもある。なんと最高のロケーション。そのうち、海水浴場らしきあずまやのある浜に上陸した。おそらくここが額場海水浴場。浜ではあずまやに屋根を貼る作業をしていたおっちゃんに話を聞くことができた。

 今まで雨続きだったがこの連休に入ってやっと晴れたので屋根を取り付けているのだそうな。ここは北極で没したかの冒険家が年中カヌーでやってきてキャンプしにきていたとか。この島の古墳の話や、国立公園なのであずまやひとつ立てるのに申請して10年以上とかかなり時間がかかることなどしばらく話を伺っていたが、常連さんらしいファミリーが海水浴にやってきてその対応に行ってしまったので島をあとにした。

 今思えば、ここでキャンプすればよかったのだ。しかし出航してまだ7kmほどしか漕いでないし、ここからだと帰りは30km以上ある。さすがに最終日一日でここから出艇地に帰るのは遠い。多分漕げば漕げるんだろうけど、そこは悲しきサラリーマン、何かあったときに対応できなくなる。仕方なく先に進むことにした。これも判断ミスなのかも。

 山の上に見晴らしの良さそうな展望台もみえた。次回は1日目からここを目指してみよう。今回はルート調査。概要を掴むことが重要である。そう言い聞かせて旅を続けた。

 ぐるっと北側を回るとちょうどフェリーが出て行った。このあたりの島々を往来する中島汽船のフェリーのようだ。

 南を通ると遠く感じた芋子瀬戸は北側だとわりと近い。陸to陸で1kmもない。すいすいと漕いでいったのだが・・・。さっきも聞いたスーパージェットの爆音がどこからともなく聞こえてくる。あの音はかなり遠くまで行っても聞こえるので特に気にしていなかったのだが、ふと右を見ると広島方面からステープラーの芯みたいなスーパージェットの姿がみえた。芯みたいに見えるってことはこっちにまっすぐくるということだ。まだ遥か遠くにいるが、あいつのスピードはマジパネェ!←ちょっと言ってみたかった

 そのうちちょっと芯の横が見えてきて自分の後ろを通過するということがわかったので先へ進んだ。スーパージェットは芋子瀬戸も通過する。このあたりの海を漕ぐにあたって重要な知識がひとつ増えた。愛媛向きがこっちとかそういうのだろうか。

 睦月島には殆ど近寄らず、中島の沖合を北上した。上げ潮に乗っていいペース。ルート調査的にはもうちょっと岸沿いを行ったほうがよかったかもしれないが、やっぱり一人だと焦ってしまうようだ。キャンプできそうな浜もあったような気もしなくもない。また機会があればじっくり見てみたい。

 そして中島の北端、歌崎という小洒落た名前の岬へ到着。ここからしばらく逆潮だ。

 岬を回りこむと大館場島・小館場島が遠くに見えた。あんな霞の向こうの島にも、あと10年もすれば、あのあたりもひょいひょいっと漕いで行けるようになるだろうか。航路も超えなきゃなんないし。

 でもこれから漕いでいく怒和島を見るとさらに遠くに感じる。いや実際遠いのである。大館場島まで4.7km、怒和島まで7.7km。それを考えると、大館場島にも行く気になれば行けそうな気もしなくもない。いやきっと行けば行けるだろう。多分このくらいの海況なら何でもないのかもしれない。

 でもそれを許してくれないのは、「明日荒れたらどうなるだろう」とかそういう不安。会社とかどうでもよくなって一週間あの島で停滞しても平気とかいう状況になればなんでもなくほいほい行っちゃうのかもしれない。月曜日までに帰ってこないといけないとかいうケツカッチンが行っちゃだめだというのである。世の中にはこの後の天気を完全に予想して行動する人もいるらしいのだが、今のところ僕にはその機能はついてない。だから自分の予想が外れても挽回できるだけの漕ぎ力はつけておかないといかんなぁと思う。保険みたいなもんである。自分を信用してないともいえるかもしれない。

 上の写真からおよそ2時間、1枚も写真を撮っていなかった。なのでこのあたりが文字だらけになってしまうのはご了承頂きたい。さてその間、その遥か遠くにある怒和島目指して逆潮を遡り岸沿いに漕いでいった。ちょっと沖に出ると結構な潮流を感じる。そしてこのあたり、中島の北西岸はやたらとテトラの護岸が多かった。その中で畑里という集落の端っこには、護岸の裏あたりにテントを張れそうなスペースもありそうだった。あのへんで一夜をすごさせてもらえないかなぁとも考えた。考えたのだが時刻はまだ午後1時。もうちょっと行けるでしょ、そう考えてしまった。これまた判断ミスなのかもしれない。

 畑里を過ぎて岬を回りこむと急に加速した。まだ転流には早いはずなのだが、沖合をゆっくり漕いでも平気で8km/hを超えている。どうやら反転流ではなく、やはり下げに転流したようだ。1時間くらい早く転流したことになるだろうか。ていうか潮止まりはいつだったのか。

 まぁそれはそれ、流れに乗って一気にクダコ島へ、と進んでいたのだが、途中で考え直すことになった。

 クダコ島と中島の間に直線上の白い線が見える。1kmほどの海峡全面に潮流波ができているのだ。あの流れの中でクダコ水道に入ると怒和島の北側にはもう来れない。そもそもあんなところを横断するのは大変だ。ちょっと見渡すと横断に影響しそうな大型船は北東から二艘のみ。北東からということは前日観察したとおりならばクダコ島の西を通過する。こりゃ行っちゃえ、ということで、クダコ水道の北側で横断をしかけた。

 なかなかいいペースで水道の真ん中あたりまで来た。そのあたりで右側から来た一艘目の大型船が通過した。続く二艘目も、多分漕ぎ続けてもぶつからないだろうけどちょっとスピードを緩めて見送った。目の前を通り過ぎた船は大きな曳き波を残していった。その曳き波を乗り越えて、しばらくすると今度は後ろから似たような大きさの波が来た。波が後ろから来たらとりあえず乗ってみるのだが、ザーッと乗ったあとで振り返っても後ろには大型船は通っていない。前を通った船の曳き波が後ろから来るとは世の中不思議なことがあるもんだと考えていたのだが、しばらく漕いでいるうちにどうやらそれは潮流波だということに気づいた。

 潮流波が後ろから来るということは、潮は前から流れて来ているということになる。ってことは逆潮?!。怒和島の形からして風切鼻を境に西への流れと南への流れに分かれると思ったのだが、予想とは違って前からガンガン流れてくる。困惑しながら波乗りをして進んでいたが、そのうち徐々に潮流波が激しくなってきて、しかもいくら波を捕まえても全然進まなくなってきた。

 気がつくと、あたり一面激波地帯。激波地帯っていうのは結構あちこちに移動するのである。ずいぶん向こうにあると思ったらこっちに来たり、波に乗ろうと行ってみると向こうに逃げたりする。今回はその激波地帯に飲み込まれた形になった。そしてそのど真ん中でいくら波に乗っても前に進まない状態。このまま前に漕いでもダメだということで、バウを南に向けた。怒和島の影に入ればいいわけだ。ということでしばらく激波地帯を漕ぎ続け、抜けたエディはとても平和だった。

 ていうか何なん?世の中には潮止まり時間ていうのがあるってこと、この辺の海は知らないんだろうか。それにまだ転流前のはずだし。潮流の何とかいう法則も完全無視。これが愛媛県の海に起こるという伊予の早曲がりなのか。

 たまに本気にする人がいるので書いておくが、ウソである。

 で、怒和島に到着。そろそろキャンプ地を決めたいところだ。どっかいいとこないかと怒和島の北側を浜を眺めながら西へ進んだ。

 しかし、怒和島の北側は護岸だらけ。砂浜は全て大量のテトラポッドが埋め込まれていた。「砂浜からコンクリートへ」な島だった。やっぱり中島でキャンプしとけばよかったか。なんという判断ミス。津和地島まで渡っても見える怒和島は同じような感じだった。もう今更あのクダコ水道を戻って中島へ戻ることはしない。じゃぁどうするか。まだ午後3時前。残りあと10km。もう出艇地に戻ることを選択した。

 もしかしたら津和地島の北側は・・・とかも考えたが、残り10kmっていうのは一昔前には相当なもんである。20km弱のツアーでクタクタヘトヘトになり、ツアーメンバーに追いつけず何度も振り返らせてしまったあの時を思い出す。それ以来距離を漕ぐ練習もそれなりにしてきたつもりでもあるが、そうは言っても既にもう30km漕いだあとである。未知の領域に達してしまう。今のところなんともないが、もしかしたら急にぐったりしてしまうかもしれない。そう考えると、最短距離しか選べなかった。

 津和地島の港を通り過ぎ、南側に回りこむと諸島・周防大島・片島がみえた。ゴールはもうすぐそこだ。見えるとホッとする。

 もうすぐそこなのだが、今度は暗雲が立ち込めてきた。その下には雨が降っているのも見える。黒い雲が見えたらすぐ避難するようにって気象予報士が言っていた!こんな海の上で雷にやられたらこの下げ潮に乗って航路に出て大型船でギタギタである。そんなのはいやだーー!

 目の前の諸島は上陸できそうにない。ということは、目指すは情島。いそげ!

 情島の本浦というところの端っこの浜にとりついた。東端の岬のまわりはかなりの激潮部でさらに逆潮だったが見なかったことにして遡り、小さなゴロタの浜に上陸。一応雷を避けられる建物があるところへ・・・と歩いてみた。

 渡船の待合室があることを確認して空を見上げ様子を見た。結局ちょっと雨がぱらつく程度。雷鳴は轟くことなく大雨の本体は倉橋島の方へ行ったようだった。

 島の自販機は右端の爽健美茶以外全て売り切れだった。でも横のくずばこの中身からして全て売っていた可能性は高い。

 雨雲が向こうに去ったのでカヤックを上げたところまで戻った。

 さっき見なかったことにした激潮部は相変わらずだった。でも今度は下りなので平気なのだ!

 間情島の向こうにちょうど西側からフェリーが通過していった。こりゃタイミングがいいぜっ

 だーっと流れる潮流波を前にして、今度は南から来たフェリーの通過待ち。曳き波も覚めやらぬうちに瀬に突っ込んだ。今までで一番高い潮流波。さすがにフェリーグライドするのは怖いので流れに沿ってまっすぐ突っ込んだ。波が顔までぶわーっとかかる。流れるままに流されて、ゆるくなったところで岸にとりついた。

 遠く松山の夏の雲を見ながら出艇地に帰ってきた。まだ二日目なのに、なんでここにいるんだろう・・・。

 数々の失敗によってせっかくの2泊3日ツーリングを1泊2日にしてしまった。あのきれいな海でもっとプカプカしていたかったなぁ~・・・。モッタイナイお化けが出る←年がばれる

 しかし、一日中シーカヤックに乗り続け漕ぎ続けていたので、10回分くらいシーカヤックを楽しんだ、ということにしておこう。

忽那諸島シーカヤックツーリング二日目
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コメント

  1. fusai より:

    お疲れ様です!

    数々の修羅場
    判断すべき場面

    緊張して読みました

    何年分もの経験ではないでしょうか
    すごすぎ

  2. quickturn より:

    そうなんです。
    書いているうちにだんだんエスカレートしてきてすごいように見えるでしょう~!!
    でも実際はベタ凪で距離が長いだけのツーリングだったのです!
    海も借金も事前にチェック!ですね。

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